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文学部は何の役に立つのか?生き方に迷った時の答えは?

「文学部は何の役に立つのか?生き方に迷った時の答えは?」について考えてみた。

長い人生で生き方に迷うという場面が出てきますが、それをどう解決するか、

親しい人に相談するのも良いのでしょうが、丸投げはできないと思います。

まずは、自分はこのように考えているというものがないと、

他人任せの、言われるままの人生になってしまいます。

 

やはり自分の人生は自分で責任を持って生きたいのです。

生き方に迷う場面で、どうしたら適切な答えが出せるでしょうか?

その出した結論を納得して受け入れることができるでしょうか?

 

人間一人の経験には限界もあり、限られた範囲でしか生きていません。

そんなときに、未経験の状況に遭遇し、答を求められるのが人生です。

 

そんなときに頼りになるというか、参考になるかもしれないのが、

小説や伝記や哲学や芸術を通して知ることができる人々の追体験です。

 

あの人ならどのようにしたであろうか、どんな行動を取っただろうかと

思い描くことができれば、今目の前にある困難な状況を客観的に受け止めることができます。

 

ある大学の先生が「文学部は何の役に立つのか?」という問いに答えています。

 

「文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます」。

 

人生の岐路はいつ訪れるか分かりません。

 

学校の選択、就職、結婚、転勤、親との別れ等々いろいろな状況が出てきます。

その岐路に際し、納得のいく選択・行動ができるかです。

 

私は学生時代には小説はあまり読んでなく(5冊位)、

哲学や心理学の方を社会人になってからも読みました。

法学部を卒業したので、管理方面の仕事に役立っていますが、

人生の岐路の問題では、法律では答えは出ません。

 

人生観や人間観、人をどう思い、どう考えるかなど、

人間をより深く理解することが判断の材料になるのではないでしょうか。

私の場合は人生の岐路に際し、より良い選択であったかどうかは分かりませんが、

納得して選択しているので、自分の行動に責任を負うことはできました。

 

その意味で、「文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか」はまさに納得のいく言葉です。

 

もちろん、いろいろな人生がありますから、意識するほど人生の岐路に立つこともない人もいると思います。

でも、誰にも言えませんが、時として逆境を迎えることがあります。

そんなときに、一つの支えとして、何かを参考にするものがあれば、無駄にはならないと思います。

ですから、若い時には興味の向くものに、どんどん手を出し、追体験を広げて欲しいと思います。

 

私が参考になったのは、社会人になってから心理学の師匠から聞いたこんな言葉です。

「飛び込む太刀の下にこそ、我が身に浮かぶ瀬こそあれ」

 

ある大学の先生の言葉を以下に引用します。

 

文学部って何の役に立つの? 阪大学部長の式辞が話題に 「本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったとき」

金水敏さん=2012年の朝日新聞より

「文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます」。今年3月、大阪大学の文学部長が卒業セレモニーで述べた式辞が、ツイッターで話題になっています。世間からの「文学部って何の役に立つの?」という声に対する考えを語ったものです。どんな思いが込められているのか? 話を聞きました。

式辞の内容は

大阪大学文学部長で、大学院文学研究科長も務める金水敏さん。話題になっているのは、今年3月に開かれた文学部・文学研究科の卒業・修了セレモニーでの式辞です。

「みなさま、本日はご卒業・修了まことにおめでとうございます」と始まり、ここ数年間の文学部・文学研究科をめぐる社会の動向について、「人文学への風当たりが一段と厳しさを増した時期であったとみることが出来るでしょう」とふり返ります。

「税金を投入する国立大学では、イノベーションにつながる理系に重点を置き、文系は私学に任せるべき」といった意見が出たことなどを挙げながら、「文学部で学ぶ哲学・史学・文学・芸術学等の学問を学ぶことの意義は、どのように答えたらよいのでしょうか」と問いかけます。

「医学部」「工学部」「法学部」「経済学部」などの実例を挙げた上で、「先に挙げた学部よりはるかに少なそうです。つまり、文学部で学んだ事柄は、職業訓練ではなく、また生命や生活の利便性、社会の維持・管理と直接結びつく物ではない、ということです」とした上で、こう述べます。

◇ ◇ ◇

「しかし、文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます」

「今のこのおめでたい席ではふさわしくない話題かもしれませんが、人生には様々な苦難が必ずやってきます」

「恋人にふられたとき、仕事に行き詰まったとき、親と意見が合わなかったとき、配偶者と不和になったとき、自分の子供が言うことを聞かなかったとき、親しい人々と死別したとき、長く単調な老後を迎えたとき、自らの死に直面したとき、等々です」

「その時、文学部で学んだ事柄が、その問題に考える手がかりをきっと与えてくれます。しかも簡単な答えは与えてくれません。ただ、これらの問題を考えている間は、その問題を対象化し、客観的に捉えることができる。それは、その問題から自由でいられる、ということでもあるのです。これは、人間に与えられた究極の自由である、という言い方もできるでしょう」

「人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であったというわけです」

文学部長に聞きました

今月17日、「人文学類を出た身としてはとても響くものがあるので幾度となく読んでしまう」という文言とともに、金水さんのブログで公開されていた式辞全文がツイッターに投稿されました。

すると「すごく心に響くものがある」「名文やなぁ」「なんとなく入った文学部の娘に読むのを勧めたい」といったコメントが寄せられ、いいねが1万4千を超えています。

この式辞にどんな思いを込めたのか? 金水さんに話を聞きました。

――このテーマを選んだきっかけは

「『人文学は人生の岐路に立ったときに真価を発揮する』という考えは以前から持っていて、2016年の大阪大学文学部案内の巻頭言にも書きました。特に人文系に対する風当たりが強い昨今、卒業していく学生さんたちに、『きみたちが学んできた学問にはこんな力があるんだよ』と伝えて、世の中に対し少しでも顔を上げて生きていっていただけたらという思いでこのテーマを選びました」

――表現で工夫した点は

「できるだけ難しい言葉は使わずに、耳で聞いてすっと理解できるようにとは考えました」

――金水さんご自身の体験との関係は

「肉体的・精神的につらい状態にあるときに、考えることがつらさを和らげてくれるという実感は何度か経験しました」

「それ以上でもそれ以下でもありません」

――式当日の反響は

「卒業生の皆さんは静かに聞いていて下さいましたが、特段の変わった反応はなかったです」

――ツイッターで話題になったことについては

「正直、当惑しています。なんで今頃、と感じましたが、それだけ人文学の行く末を案じ、応援して下さる方が多いんだなと理解し、うれしく思っています」

「スピーチ自体は、今読むと、いろいろ言葉足らずの、稚拙な表現もあるし、考えの至らないところもあるし、さほどオリジナリティーがあるわけでもないありきたりのスピーチです。卒業式のその場の皆さんに向けたことばであり、それ以上でもそれ以下でもありません」

――これから文学部で学びたいという学生や、現在学んでいる学生、かつて学んでいた人へメッセージを

「卒業した方には分かっていただけるのではないかと思うのですが、文学部で学んだことがらは、いつの時代にも変わらない価値を持ち続けます。多くの方に『いい選択だった』と思っていただけると信じています」

――「これは言っておきたい」という点があれば

「人文系の学部はもちろんですが、大学自体が岐路に立っています。大学関係者は、不十分ながら、大学が持っている『大事なもの』を少しでも残していこう、受け継いでいってもらおうと努力しています。ひとりでも多くのみなさまに、そんな努力を知っていただき、応援していただけたらと願っています」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170723-00000001-withnews-sci&p=2

https://withnews.jp/article/f0170724005qq000000000000000W00o10101qq000015619A

7/24(月) 6:50配信

 

貴方のヒントになれば幸いです。

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