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日野原重明さん死去(聖路加国際病院名誉院長)、105歳の人生から学ぶ

日野原重明さん死去(聖路加国際病院名誉院長)、105歳の人生から学ぶ

聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんは生涯現役を続け、その生き方は多くの人の注目を集めた。

誠に残念ですが2017年7月18日、呼吸不全のため105歳で亡くなられた。
日野原さんは2度の大きな事件「よど号ハイジャック事件」「地下鉄サリン事件」に巻き込まれた。

その事件を彼がどのように乗り越えてきたかと言うことが気になった。

その105歳の人生から何かを学びたい。

 

よど号ハイジャック事件に遭遇

1つ目の事件は1970年3月31日に起きた「よど号ハイジャック事件」の日航機に乗り合わせていた。

「事件以降は残りの人生を人のため、自分を捨てて生きていた」と語っている。

 

あの日は、学会に出席するため羽田から福岡に向かっていました。飛行機が富士山頂に差しかかる頃、9人の若者が突然立ち上がり、日本刀を抜いたリーダーらしき人物が「我々日本赤軍は、この機をハイジャックした。これから北朝鮮の平壌に行く!」と叫んだのです。

彼らは手分けして、乗客とスチュワーデス120人あまりの手を麻縄で縛りました。「大変なことになった」と思った私は、自分の気持ちを確かめるため、そっと脈を測ると平常より幾分速い。やはり動揺していたのでしょう。

そのとき脳裏に浮かんだのが、子どもの頃から習い親しんでいた聖書の一節でした。「マタイによる福音書」8章26節の「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」という言葉です。イエスがガリラヤ湖に弟子たちと釣りに行ったとき、にわかに暴風に襲われ、舟は波にのまれそうになりました。恐れおののく弟子たちをイエスがこう叱咤し、風と湖をなだめると嵐は静まったのでした。

と同時に、尊敬していたウィリアム・オスラー医師の言葉を思い出しました。先生は「医師はどんなときでも平静の心を持つべきだ」と説いていたのです。私も「とにかく落ち着こう」と自分に言い聞かせました。

朝鮮海峡上を飛んでいるとき、「機内に持ち込んでいる赤軍機関誌と、その他の本の名を放送するから、何を読みたいか、手を挙げよ」と言って金日成や親鸞の伝記、伊東静雄の詩集、次いでドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』などを挙げたところ、乗客の誰も手を挙げませんでした。私1人だけが、『カラマーゾフの兄弟』を借りたいと手を挙げたら、文庫本5冊を膝に置いてくれました。

本を開くと、冒頭の言葉が目に飛び込んできました。「1粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ1つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」(ヨハネによる福音書12章24節)。

機内へ強行突入があれば、私は死ぬかもしれないが、その死は何かの意味を持つのではないか……。先の2つの言葉と、文庫本を膝の上にして、私の気持ちは少し楽になったのです。

幸い、私は無事に帰還できました。解放されて韓国の金浦空港の土を靴底で踏んだとき、感謝の念とともに「これからの人生は与えられたものだ。誰かのために使うべきだ」と感じました。還暦を目前にして、そう思えたことが私の人生の後半を決めてくれたのです。

http://president.jp/articles/-/9320

 

乗客がハイジャックを理解せず、メンバーも説明に窮する中、声をあげて「人質を取る乗っ取り」と説明。「ハイジャックする人が説明できないのはおかしい」とマイクで語り、緊張する機内をなごませた。

日野原氏は後年、産経新聞への寄稿で、メンバーが革命歌「インターナショナル」を歌うと、乗客が別れの歌「北帰行」を吟じたエピソードなどを回顧。「生きるも死ぬも皆が同じ運命にあるという意識から生じたストックホルム症候群という敵味方の一体感に一同が酔ったといえるのかもしれない」と振り返っていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170718-00000538-san-soci

 

気になったこと・学び

このような危機的状況で、冷静な心を取り戻して行動されていることに敬服します。

普通人はこのようには行動できません。

この冷静さはどこから生まれるのだろうか?

私は宗教的な心がそのようにさせていると思います。

父親が牧師であったので、幼い頃から宗教的なものは自然と身に付けていたと思われます。

 

「私は死ぬかもしれないが、その死は何かの意味を持つのではないか」と思えることが凄い。

「これからの人生は与えられたものだ。誰かのために使うべきだ」と感じました。

誰かのために自分の人生を使うという心境にはなれないものです。

できれば自分の人生を自分の思うとりに使いたい、自分のために使いたいと思うのが人情というものです。

それを180度ひっくり返して、人のために生きることができるだろうか?

これは重たい課題ですが、年と共に一歩近づきたいと思います。

 

地下鉄サリン事件で治療の陣頭指揮に当たる

2つ目の事件は1995年3月20日に起きたオウム真理教が東京の地下鉄で毒物「サリン」を撒き散らした「地下鉄サリン事件」です。

 

聖路加国際病院に多数の被害者を受け入れ、治療の陣頭指揮に当たった。

 

当時、2000人近い負傷者を出した築地駅に近い聖路加国際病院では、スタッフが被害者の命を救うべき総力戦を展開していた。

当時院長だった日野原重明氏はこの緊急事態に、一般外来の診療と、予定していた手術の中止を決断、被害者の全面受け入れを指示した。

礼拝堂の壁の配管に人工呼吸器を取り付け、点滴台と毛布を運び込むと、そこは広い病室へと変わった。

東京大空襲で十分な救助活動ができなかったことへの後悔があった日野原氏が、院長就任の交換条件として廊下に酸素供給の配管、さらにそれを礼拝堂にも設置し、すぐに病室に転用できるように求めていたことが功を奏したのだった。
日野原院長や副院長が先頭に立って患者さんを重症・中等症・軽症と、トリアージと呼ばれる振り分けをしていた。

 

聖路加病院には640人が運ばれたが、亡くなったのは1人だけだったという。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170402-00010016-abema-soci

 

気になったこと・学び

戦争中の救助活動の後悔と、その反省から廊下や礼拝堂に酸素供給の配管を設置し、病室に転用できるようにしたことは、どんなに能力が優れている人でもやらないことだと思います。

人生の体験を活かそうという心があってはじめてできることです。

人生の体験をただ体験に終わらせずに、そこから教訓を汲み取り活かす考え方、姿勢が大切だと思います。

 

 

聖路加国際病院理事長 日野原重明
1911年(明治44年)10月4日生まれ。父は牧師をしていた。京都大学医学部卒。同大学院修了。41年より内科医として聖路加国際病院に赴任。2005年、文化勲章受章。診察を続ける一方、全国の小学校で「いのちの授業」を行う。『子どもを育てる聖書のことば』など著書多数。

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