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生きる目的・生きがいがあると長生きできる。

若い人にとっては長生きするかどうかは遠い将来のことなので関心はないと思う。

ところが高齢者にとっては長生きするかは重大問題である。

そして、生きる目的・生きがいがあると長生きできることが解かった。

 

生きる目的がないと、若者でも高齢者でも自殺する危険すらある

ことは身近に聞いているので知っていたが、

生きる目的・生きがいがあると長生きできるなら嬉しいことである。

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定年後の人生を幸せに生きる 「目的」の生みだす効果

 

5月29日、東洋経済オンラインに「日本の高齢者が不平不満を抱える根本原因」と題する記事が掲載された。副題には、「人生=仕事」という日本ゆえの悲劇だ、とある。

世界とは異なり、我が国では、最も怒りに満ち、人生に満足していないのは、65~75歳の年代グループのようである。多くの国では、人の幸福感は30代から下降線をたどり、40代で底を打ち、50代からまた盛り返すU字型カーブになっている。対して我が国では、最も幸せなのは25歳以下の年代であり、その後は一貫して下がり続ける。日本の高齢者はずっと我慢して働き続けて、退職したらもっと報われるはずと思っていたが、願ったとおりにはならず、期待と現実の差に打ちのめされてしまう、との見解が書かれている。

ここから、二つのことが言えそうである。

一つは、仕事とは我慢の対象でしかないのだろうか、ということである。確かに戦後を生き抜いてきた人たちは、家族や社会のためによく働いてきた。自己犠牲的な面も多くあったかもしれない。しかし、仕事は自分の人生そのものであり、それがあったからこそ、なくなったときに喪失感を覚えることになる。仕事ばかりに没頭すべきではないという意見は確かにその通りだが、実際にいまの高齢者は、そのように過ごしてきた。そうであれば、ここで「人生=仕事」という日本の「悲劇」について述べるだけでは、何も解決しない。

もう一つは、高齢者が不満を覚えるようになったのは、実に仕事がなくなったからである。記事でも取り上げられているように、人生において満足感に大きく影響するのは、「生きる目的」、生きがいである。もしも仕事を辞めるまで喪失感を覚えていなかったのだとすれば、それは仕事が、ある種の生きる目的、あるいは自己目的だったからではないだろうか。そうであれば高齢者は、第二、第三の道を歩んだほうがよいことになる。そしておそらく、それは仕事のうちにある。だがその仕事は、自分らしく生きられる仕事である。そのほうが、幸せに生きることができる、ということである。

高齢者には与えられた仕事がない。それらの仕事は、現状、若者に用意された仕事である。よって、やりたい仕事、自分らしい仕事を行うには、起業するのが最良の方法となる。すでに「高齢者の起業はメリットだらけ:充実した毎日を過ごすための起業のすすめ」のなかで、「高齢者」が起業することのメリットについて述べた。当記事ではさらに進めて、起業ないし仕事をすることのメリットについて、健康の面から紹介していきたい。

「目的の力」

ミシガン大学のヴィクター・ストレッチャー教授は、『目的の力』のなかで、「生きる目的」が生みだす効果についての研究結果を列挙している。

生きる目的を強く持っている人は、生きる目的が薄弱な人よりも平均して長生きする。生きる目的の強さを1~7点のスケールで表したとき、1点上がっただけでも死亡リスクが12%減るという調査結果が出ている。また、心臓疾患のある人について、生きる目的を1~6点のスケールで表したとき、1点上がるごとに心臓発作を起こすリスクが27%下がるようだ。脳卒中も同様で、1点ごとに22%下がる。

高齢者だけの話をすれば、生きる目的が薄弱な高齢者は、生きる目的が強い高齢者に比べて、2.4倍もアルツハイマー病を発症しやすい。また、たとえ発症したとしても、後者は症状の進行が遅いようである。加えていえば、生きる目的の強さを1~6のスケールで表したとき、1点上がるごとに入院日数が17%減ることがわかっている。安上がりでよい。

結局のところ、病は気から、なのである。漫然とではなく、どこかに向かっている感覚があり、それを自らの目的であると意識している人は、健康で、長生きができる。そういえば、目的を見出して生きることを説き、自らもそれを実践したドラッカーは、働きづめで95歳まで生きた。死ぬまで自らのインスタントラーメンともに生き、毎日食べ続けた日清食品の創業者である安藤百福は、96歳だ。日常において快楽を追求しているだけではそうはいかない。生きる満足感と高い自己評価、ポジティブな感覚があってこそ、そのような成果が得られるのである。すなわちそれは、幸福感のもたらす成果である。ストレッチャー教授は、生きる目的は、人が最も深い価値を見出すものと関連しているという。目的のある人生には、最も大事なもののために生きているかどうかが重要なのである。そのような人生を歩むこと、歩み続けることが、幸福な人生を約束する。

よき人生は、日々を享楽的に生きていては得られない。誰かに貢献することから得られる満足、何かを生みだしているという実感があってこそ、実現されるものである。ゆえに人は、働かなければならない。自分の仕事をしなければならない。自らの仕事を、見出さなければならないのである。

高齢者を「原因」とみるのはもうやめよう

経産省の若手が「不安な個人、立ちすくむ国家」という提言をまとめたことが反響を呼んでいる。テーマは、個々が活躍すること、である。ここにおける高齢者に関する記述は、むしろ高齢者の立場、思いを尊重しているといえよう。「多くの人が健康で長生きする現代。にもかかわらず、60歳半ばで社会とのつながりが急速に失われる暮らし。そんな暮らしを多くの人が望んでいるだろうか?」提言にあるように、65歳以上でも働く意欲のある人は6割以上である。定年退職を境に、日がなテレビを観て過ごしている高齢者。彼らは現状を変えて、高齢者に幸せに生きてほしいと考えている。

毎日新聞の記事は、提言をミスリードしている。提言の第一の目的は、高齢者「個人の生きがいや社会のつながりを増やす」ことである。だが記事には、「年齢によって一律に年金を支給することをやめ、働く意欲や能力がある高齢者は就労することで収入を確保すべきだとした」と書かれている。そのような書き方をしてしまうと、高齢者は、社会は自分たちのことをお荷物だと考えているのではないかと感じてしまうだろう。しかしこれは、毎日新聞が悪いといい切ってしまえば済むものではない。現にこれまでの社会の風潮は、高齢者を国家の「負担」とみなしてきたのであり、毎日の論調はそれを踏襲したものにすぎないのである。

はっきり言いたい。高齢者は弱者ではない。資産である。長年経験を積んできたベテランである。社会的な観点からみたとき、そのような資産を活かせない制度は、明らかに間違っている。高齢者の皆様には、自分らしく生きるために、働いてほしい。ずっと健康で、幸福で、生き生きとしていてほしい。90歳、いや100歳まで、自分らしく生きていてほしいのである。どうかこの若手の提言を、ネガティブに捉えないでほしい。

仕事は生きがいである。そうであらねばならない。そして人から生きがいを奪うというのは、人間の尊厳を奪うということにほかならない。人は幸福になる義務がある。ゆえにそれを追求し続ける権利がある。高齢者の皆様には、幸せに生きるための仕事を見つけてほしいと願っている。

遠藤司  | 皇學館大学准教授

https://news.yahoo.co.jp/byline/endotsukasa/20170531-00071582/

 

お金よりも生きる目的=生きがいを手に入れることが先決である。

していることが、何であれ楽しければ生きがいを持ち続けられる。

続けていれば、その道のプロにもなれる。

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