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終活・身辺整理・葬儀家族葬について思うこと

若い人には関係ないのですが、

病気で余命がわずかしかないと宣告されて

終活を考えないといけない人とか、

今は元気であるが70歳、80歳になったので、

そろそろ終活(人生の手仕舞い・身辺整理)を考えようと思っている人もいるでしょう。

 

私も70歳を迎えるので、そんなことを考えている一人です。

「終活・身辺整理・葬儀家族葬について思うこと」を伝えたい。
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ただ歳を取っただけでは、終活は考えられないと思います。

人間はいつまでも生きられるのではないかと錯覚していて

自分の死を身近に感じられないからです。

 

死を覚悟を持って受けとめられている人はまれで、

病気を抱えていても、当分大丈夫だと思っている人が

ほとんどだと思います。

 

そして、数日から1週間ぐらいの内に、

卒然と、本人の予想に反して亡くなってしまうのです。

(私が身近にこのような人を見ている感想です。)

 

私は大きな病気で伏せている訳ではありませんが、

終活は真剣に考えるべきテーマだと思っています。

 

そこで一念発起して、終活方針を決めることにしました。

 

まず、これまで人生でお世話になり、関係を持って頂いた方への

終活挨拶(人生の手仕舞い・身辺整理)です。

これは平成30年の年賀状挨拶でお知らせようと思っています。

これ以降は止めることにします。(実はいいろいろ迷ってます)

 

親族については、亡くなった時にお世話になるので、例外とします。

ですから、葬儀は家族葬にします。

 

ブログで挨拶がないときは、その年に亡くなったといことになります。

(親族にどこまでブログを引き継ぐか決めておかないといけません。)

 

葬儀はだんだんシンプルになり、お墓を持たないケースも増えてきました。

この点については、喪主予定者(家内か息子)と相談しようかと思っていますが、

私の希望は海への散骨です。

海が好きだったので。「魂は海にあり」

はるか昔、大陸から日本列島に渡り、縄文文明を拓いた

古代日本の開拓者と太平洋をヨット一つで渡った人の心意気を感じていたいと思います。

 

葬儀の宗派は戸籍を調べて解ったことであるが、

祖父は鹿児島で埋葬され、浄土真宗本願寺派であった。

 

父は横須賀で、母・兄の手により、別の宗派で埋葬された。

私は先祖返りではないが、浄土真宗本願寺派でお願いしようと思っている。

家内は真言宗であるが、養子になる訳にもいかない。

 

宗派は大局から見れば小事であり、

葬儀で成仏できないお経を唱えるところはないと思うし、

あまり拘る訳ではないが、波風が起きないように

先祖返りするのがよいと思っている。

 

戒名を生前に考えて、作っておく人もいるようだが

これは邪道だという考えもある。

 

本来なら生きている時の名前で十分なはずだが、

(キリスト教徒のお墓は生きていたときの名前である)

仏教ではほとんどの人が死んでからは戒名をもらっている。

 

死んでから仏弟子もおかしいのだが、

生きている時に、仏教徒になっていないのだからしかたがない。

仏門に入る手もあるが、そこまで悟っていないからしかたがない。

(生前に仏門に入れば、受戒により戒名は頂ける)

 

相続は、相続するほどの財産もないので考える必要もないと思う。

 

身の回りのものをどれだけ、捨て、残すかが問題である。

生きてきた証となる、成長過程のアルバムとか、証書とかは残そうと思うが

相続者がいつそれを開けて見るだろうか?

ないのと同じことになるかもしれない。

 

代を経れば捨てられることになるかもしれない。

歴史上の人物でもない限り、価値もなく、迷惑かもしれない。

 

やっぱり残るものは、次代に引き継がれる言葉であり、

体験による物語である。

言葉や物語があって、初めてモノ・物が生きてくる。

 

モノ・物だけあっても、いずれは残らないだろう。

金や宝石・不動産はいずれ貨幣に変えられ、使われて

人手に渡るものである。

人の心を動かさないものは残らないのである。

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