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松尾芭蕉の旅人と夢、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」に思うこと

俳人松尾芭蕉が「奥の細道」を著し、最後に詠んだと言われる

「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句から感じることを書いてみたい。

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「奥の細道」は30代ごろに一度読んだ記憶がある。

そして、あと少しで70代となるが、ふと気になり思い出したのである。

 

奥の細道・旅立ちは

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」である。

百代(はくだい)の過客(かかく)という難しい表現に引っかかってしまいすが、

なんとも言えない含蓄がある言葉です。

 

そして、旅の途中、大阪で病気になり、

最後に詠んだとされている句が

「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」です。

 

この句を辞世の句と解釈する向きがありますが、

私はそのようには思いません。

 

辞世の句というと、武士などが切腹する前に、覚悟を決めて、

世を辞するときの句というイメージがあります。

 

芭蕉は病に倒れたといえ、まだまだ旅を続けたいという気持ちに溢れていたと思います。

病んだからこそ、旅を続けるためには、夢で駆け廻るしかないのだという気持ちです。

 

旅立ちの意味は、

「月日は、百代という長い時間を旅していく旅人のようなものであり、その行きかう一年一年も、また旅人なのだ。

月日は永遠の旅人(のようなもの)であり、次々に移ってゆく年もまた旅人(のようなもの)である。」

と解釈されます。

 

これをもっと普遍的に解釈すれば、人生そのものが旅人のごとくです。

月日はイコール人生になるでしょう。

 

同じところに長く住み、同じ職業に長く就いていると、

旅人などとは、とても理解は出来ませんが、

百代という長い時間から見れば、この一生は旅人なのだと思えるのです。

 

そして、最後の句を辞世と捉えてしまうか?

それとも、まだ旅を続ける人の気持ちと捉えるか?です。

 

70代となるわが身からすれば、旅の終わりは確実に近づいているのですが、

駆け廻る夢を持ち続けたいと思っています。

 

体力・気力が落ちて来ているので、

青年・壮年のようにはいきません。

歳相応のことが出来ればと思っています。

 

もし、貴方が青年・壮年であれば、

歳など考えず、もっと強い夢を駆け廻らせてください。

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